大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所 昭和35年(う)394号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一、〇〇〇円及び科料三〇〇円に処する。

右罰金科料を完納することができないときは、罰金については金五〇〇円、科料については金三〇〇円を各一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審並びに当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検事中根寿雄の陳述した控訴の趣意は記録編綴にかかる検事土井義明作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

一、事実誤認ないしは法令違反の論旨について、

刑法第二六〇条、第二六一条にいわゆる損壊が、同法にいう毀棄とその意義を同じうし、建物或は器物本来の効用の全部又は一部を失わしめる行為の一切を含み、単にそれ等の物の形態を物質的有形的に変更毀損する場合だけでなく、物質的な変更毀損は加えないでも、これを著しく汚損してその清潔美観を害し、事実上若しくは感情上、その建物や器物を本来の用途に使用し得ないような状態に変更する所為もまた、これを損壊と解すべきことは、検察官所論のとおりであり、原判決もまた右と同一の見解に立つているものと考えられるのである。しかして被告人が昭和三三年三月一八日午後一一時過頃、由水勇外三名と共同して、日本国有鉄道(以下単に国鉄と略称)山陽線小郡駅々長室において、同建造物の一部である同室内西側板壁や南東側白壁の下部の腰板に、起訴状記載のようなビラ三四枚を、また器物である同室内北西側硝子窓、北側出入口及び西側駅事務室に通ずる出入口の各硝子戸、同室内の木製衝立等に同様なビラ三〇枚を、メリケン粉製の糊で各貼り付けたことは、原審並びに当審において取調べられた証拠に照らし、疑を容れないところであつて、原判決もまたこれを認めているところである。ところで所論は被告人の右ビラ貼行為を以つて、刑法第二六〇条等にいわゆる損壊に該当すると主張するのであるが、原審並びに当審の証拠を精査して見ても、前記ビラ貼行為のために、右建物や器物に物質的な損傷を生じたと認め得るような証拠はなく、却つて手を以つてビラを剥ぎ、清水を以つてその跡を洗滌することによつて、比較的容易に旧状に復し、ただ一部に、ビラに使用していた赤インクによる汚染が、かすかに残存して居つた外はその痕跡を止めない程のもので、前記赤色の汚染にしてもその後日常の清掃によつて、間もなく完全に消失したというのであるから、本件の場合建物や器物の物質的有形的な毀損を問題とする余地は存しないばかりでなく、これをより実質的な効用の減損という点から判断して見ても、もともと本件ビラ貼行為の対象となつた駅長室は、同駅々長や駐在運輸長の執務上の便宜のためにする事務室で、併せて来客との応接の用にも供せられていた関係から、或る程度の品位や美観を兼ね備えていることもまた要求せられるところではあるが、そのような用途は比較的第二義的なもので、同室並びにその備品の効用は、より実際的な事務室としての便利と実用を主眼とするものと解せられるのであつて、また実際これを司法警察員作成の検証調書等について見ても、右駅長室は改築直前の比較的簡素な駅舎の一部で、その構造並びに備品にしても、特に高度な品位や美観を備えていたとは認められないのである。しかも一方本件ビラ貼の状況を、前記検証調書等によつて見ると、なるほどその枚数は相当多数に昇り、若干ながら同室の採光、品位、美観を害したものであることは、否定し得べくもないところではあるが、ビラ貼の箇所、ビラの寸法、形状、紙質、文字の体裁、貼方などは、ほぼ一定し比較的整然として居つて、事務室としての同室の効用に、さして障害を及ぼしたと認め得ないのはもちろんのこと、応接室としての効用を著しく毀損する程、その品位や美観を害したものとも認め得ないのである。

されば原判決が本件ビラ貼行為を以つて、未だ刑法第二六〇条の建造物の損壊罪や同第二六一条の器物損壊を内容とする、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項の罪に該当しないと判断したのは正当であつて、所論のように事実誤認や法令の解釈適用の誤があるとはなし得ないのである。

所論はなお広島高裁岡山支部の判決例や最高裁昭和二五年四月二一日の判決を引用して、原判決の判例違反を主張するのであるが、広島高裁岡山支部の右判例の事案は、本件事案と建物の用途構造、ビラの寸法形状、紙質、枚数、貼方、汚損の程度等を異にし、本件に適切ではなく、また所論最高裁判例の事案も地下貯蔵所の覆土を掘り返し、物質的にその本来の効用を失わしめた案件に関するもので、物質的有形的な損傷を伴わない本件に適切なものではない。論旨は理由がない。

二、訴訟手続の法令違反の論旨について、

原判決が本件起訴にかかる建造物損壊並びに暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪と、軽犯罪法第一条第三三号の罪とはその罪質を異にし、当事者双方の攻撃防禦の重点にも相違があるので、訴因変更の手続を践まないで裁判所が前者を後者に変更認定することは許されないし、また裁判所は検察官に対し、訴因変更を命ずべき責務はないとして、建造物損壊等の公訴事実を無罪としたことは、所論のとおりである。

なるほど刑法第二六〇条、第二六一条等の損壊罪と軽犯罪法第一条第三三号の罪とは、その違法性や侵害性の程度や一般国民の違法感情の程度において、格段の相違があり、両者を全く異質な犯罪と考えた原判決も一概に失当と言い得ないようにも考えられるのである。しかしながらもともと軽犯罪法なるものは、日常生活における卑近な道徳違反の行為のうち、その違法性や侵害性の比較的軽微なものを処罰の対象として規定しているだけで、その本質はやはり刑事犯的な性質を具有するものと解せられて居り、軽犯罪法第一条第三三号の罪は、刑法の毀棄損壊罪に達しない程度のビラ貼行為や汚損行為を、処罰の対象とするもので、両者の相違はその違法性と侵害性の程度にあるとされているのである。

して見れば本件ビラ貼行為を内容とする建造物損壊等の訴因を、軽犯罪法第一条第三三号の罪に変更認定することは、その基本的な事実関係を動かすものでないのはもちろん、構成要件的にもその違法性や侵害性において、またその刑責において、はるかに縮少された事実を認定するものであるばかりでなく、これを本件訴訟の経過について見ても、弁護人は原審において、本件ビラ貼行為について労働組合法第一条第二項の刑事免責を主張しながら、念のため本件は建造物損壊等の規定に該当するものではなく、軽犯罪法第一条第三三号に該当するものであることに論及している位であるから、本件の場合建造物損壊等の訴因を軽犯罪法第一条第三三号の罪と変更認定するには、敢えて訴因変更の手続を経るの要はなく、訴因の変更追加の手続を経ないで、右のような認定をしたからといつて、被告人の防禦に不測の不利益を及ぼすとは考えられないのである。

しかるに原判決が右と異なる見解の下に、前記のように、建造物損壊等の公訴事実を無罪としたのは、訴訟法令の解釈適用を誤り判決に影響を及ぼすべき過誤を犯したものとせざるを得ない。(なお検察官は当審において、念のため軽犯罪法の訴因を予備的に追加している。)。検察官の論旨は理由があり原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項、第三七九条に従つて原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により当裁判所において直ちに判決する。

罪となる事実、

原判示の建造物侵入の事実を一とし、新たに二として次の事実を加える。

「被告人は、由水勇外三名と共謀の上、昭和三三年三月一八日午後一一時過頃、山口県吉敷郡小郡町所在の国鉄山陽線小郡駅々長室兼小郡駐在運輸長室において、無断で同室北西側板壁、南東側白壁下部腰板、北西側硝子窓、同側出入口及び西側事務室に通ずる出入口の硝子戸等に、「人べらしは死ねということだ」「人間らしい生活をさせよ」等と墨書し又は「みんなの力で賃金調停を有利に出させよう」などと印刷してある、縦約三七糎、横約一三糎のビラ約六〇枚を糊で貼付け、以つてみだりに他人の家屋にはり札をしたものである。

証拠の標目

原判決の記載と同一である。(省略)

法令の適用、

法律に照すに、原判決の認定した建造物侵入の点は刑法第六〇条、第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、当審において認定した軽犯罪法違反の点は、刑法第六〇条、軽犯罪法第一条第三三号、罰金等臨時措置法第二条第二項に各該当するところ、建造物侵入についてはその所定刑中罰金刑を、また軽犯罪法違反の罪については同科料刑を各選択すべきところ、右は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四八条第一項により、被告人を罰金一、〇〇〇円及び科料三〇〇円に処し、被告人が若し右罰金又は科料を完納することができないときは、刑法第一八条に従い罰金については金五〇〇円を、また科料については金三〇〇円を各一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、原審並びに当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人の負担とする。

弁護人等の刑事免責の主張に対する判断、

弁護人等は本件ビラ貼行為は、国鉄従業員の正当なしかも最低姿勢の組合活動として行なつたものであるから、労働組合法第一条第二項、刑法第三五条等により違法性のない行為であると主張するが、所犯はその所有者又は管理者の承諾なく、相当の品位と美観を必要とする応接室兼用の、駅長室の内部の板壁や腰板等に、六〇枚にも達する多数のビラを貼付けたもので、それ等のビラの中には郵政や県政など、国鉄従業員としての組合活動に直接関係のない事項を記載したものもあり、その場所、枚数、汚損の程度等から判断して、これを労働組合法第一条第二項にいう正当な行為として、看過するわけにはゆかないのである。従つて弁護人等の右主張は採用できない。

よつて主文のとおり判決する。

(昭和三七年一月二三日 広島高等裁判所第一部)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例